Introduction 1 鍼灸師もどきの鍼灸師の独り言

 東洋療法ケアセンター 小川東洋鍼灸院 院長の齊藤です。

 新たに開くホームページですので、開設者の出自を知って頂く意味からも私の今まで歩んできた履歴などから書いて行こうと思います。お付き合い頂ければ幸いです。

 

 私が医療(医学)人として歩を進め始めたのは、今から三十数年前に遡ります。

 病理学という基礎医学の世界に身を置くことから始まり、都心にある某医科大学病理学教室の末席に存在しておりました。

 病理学という分野は医療の中では一般的にはあまり知られていないかもしれませんが、とても重要な仕事をしています。

 例えば、検査や手術で取り出された組織を顕微鏡で調べることで病気の診断をし、また不幸にして亡くなられた患者様を剖検(病理解剖)という手段で病気の進展と死亡までの経緯を明らかにすることで医療に貢献しています。

 そしてそのような仕事を手段に人の病気を研究しているのですが、私が在籍していた当時、CTやMRIといった検査機器はまだ稼働を始めたばかりという時代背景とも相俟って、剖検という手段が特に重要視され盛んに行われていた時期でした。

懐かしい病理解剖室

 

私が在職していた当時、解剖台は大理石でした。後にステンレス製の電動に変わったようです。

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 前記のような時代背景ということもあり、そのため当然のように剖検数は多く、私が在籍していた病理学教室でも年間350例~400例以上の剖検があり、教室員は正に剖検漬けといった言葉がピッタリくるような毎日だったように思います。

 まだ駆け出しの一年目の頃、毎日出会う患者様が当たり前ですがすでに亡くなられた方ばかりで、普通に生きて居られる方を見ると何かとても幸運な方のように見えるような心理状態に陥ったことを思い出します。(苦笑!)

 しかし、そんな過酷ともいえるような毎日を過ごせたことが、後に鍼灸療法などという手法を用いる臨床の場で生きることになる私にとって、何物にも代えられない経験という財産になる貴重な時間だったのですが、残念ながらその当時は知る由もなく、目の前のノルマを消化することに苦闘する毎日だったように思います。

 

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 そんな毎日を10年間、その後、教室の体制変化(講座教授の退任)を機に病理学教室を辞することになったのですが、その際、自分が携わった剖検数を改めて数えてみました。

 するとその数何と1542例、感謝という言葉だけでは表しきれない程の内容が充満した数字でした。

 10年間ご指導頂いた教室の先輩諸先生方に感謝すると共に、特に病理解剖に身を挺してご教示頂いた1542名の患者様は、私にとって

                               医学界での最初の師であり、足を向けて

                               寝られない存在となったのです。

                            (写真は第二病理学教室教授及び技術スタッフ)

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 大事な財産として保存してあるその当時の剖検記録を、今でも時々読み返すことがあります。

前記のような方法論と視点で病気を診てきた人間が、非常に素朴な鍼灸医学などという世界で生きることになった時、自分にとって病理学という存在はどんなものであったのかを改めて考えてみたことがあります。すると病理学という世界で学べた有難さと、現在のような将来を意図して進んだ訳ではなかったからこそ尚、病理学という世界に進めた幸運を実感し直すことが出来たのです。

 なぜか?と云えば、病理学は人間の病気というものの成り立ちを明らかにすることを目的とした学問ですから、病気というものを全て対象にします。そのため、殆んど全ての診療科の病気を診ることになり、事実、病理学教室在籍中の10年間で殆んどの科の患者様に向き合うことが出来ましたし、その病態を診ることが出来ました。

 そのため広範な病気の知見が得られたことと、そのことで病気に対する対応の幅が広がり、そのことが現在の私にとっての強みであり、最大無二の武器となったのです。

 

 ただ、そういう姿勢が出来上がってしまってから鍼灸師という資格を得るための教育機関に進んだためか、そこで受けた授業の東洋医学概論やら経穴学など等の東洋医学的科目の内容は、右から入っては直ぐに左から出ていくといった具合で、とうとう殆んど何も身に付きませんでした。(苦笑)

 ですから今でも患者様を診る意識は西洋医学的視点であり、治療手段の鍼はあくまでも道具として使っているに過ぎません。ホームページ・タイトルの「鍼灸師もどきの鍼灸師」は自虐的な表現ではなく「実感」です。

 

そんな治療スタイルで二十数年、鍼灸師もどきの異端児として存在してきました。

そんな異端児の履歴を正直に書いたつもりです。

 

次回からはペインクリニックと痛みを中心に書いて行こうと思っています。では・・・

 

 

カンファレンスルームです。

 

カンファレンス何て聞くととても高尚なことをするための部屋のように聞こえますが、

何の事は無い、殆んどお茶を飲んだり色々雑談したりと

殆んどが憩いの場です。

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包埋室と言います。

 

顕微鏡標本にする臓器をパラフィンに包埋しスライドグラスに載せて切るためのパラフィンブロックを作る部屋です。

基礎から臨床へ 1

 病理学教室での10年間は医療人としての基礎を築くための期間であり場所でありました。様々な病気と向き合い学ばせて頂きました。大学という場所であったからこそ出会えた病気も数多くありました。

 その様な多くの経験を積ませて頂きながら、厚いしっかりとした基礎を築かせて頂いたと思って居ります。

 

 その後病理から臨床のペインクリニック科に移るにあたっては、それなりの経緯と幾つかの出来事がありました。病理学教室で剖検に明け暮れながら月日が経過したある時、病態という態様の集約的な概念ともいえるようなものが自分の意識の中に形作られてきていることに気が付いたのです。そしてそれ以来、その事を確認するような意識で病気と向き合うようになって行きます。

 奇しくも丁度その頃、附属病院の中で麻酔科が痛み治療の外来(現在のペインクリニック)を開始したという話を聞き、それがどうしても気になり見学にお邪魔しました。何が気になったのかと言うと、技術的なことは勿論ですが、失礼ながらその当時、医療現場の中でも殆んど黒子的な存在であった麻酔科の先生方が、どんな(患者様に対する対応も含めて)対応をされるのかが気になり見てみたいと思ったのです。

 ところが私の不遜な野次馬根性的杞憂は見事に裏切られ、治療現場はとても素晴らしい雰囲気の所だったのです。そんな広くはないスペースに幾つかのベッドが並んでいて、何よりも驚かされたのは患者様の数よりも麻酔科医の数の方が多いくらいで、1対1若しくは2対1(2は医師の方)といったような体制で治療が行われていたことです。それぞれのベッドでは問診が行われていたり、局所麻酔の処置が行われていたり、また他のベッドでは硬膜外ブロックの準備が行われていたりと様々な光景が目に入ってきて、正に麻酔科医の臨床現場であることを実感させられた思いがしたものです。

 

 そしてまた少し離れたベッドでの光景が一際目を引きました。

 うつ伏せになっておられる患者様の背中には何本もの針様の医療器具が刺入されていて、一人のベテランと思しき先生が刺入されている針に電極を装着しているところでした。私は思わず「この治療法は何という治療法ですか?」と聞いてしまったのですが、その先生は突然の部外者の質問にも拘わらず「これは鍼療法で、使用している鍼は中国鍼です」と丁寧に答えてくださいました。

 私は鍼治療という言葉は聞いて知ってはいましたが、実はそれまで実際の治療現場を見たことが無かったため、直接目にしても良く分からなかった次第です。しかし目の前で行われている行為が鍼治療だとの説明を、実際に行っている麻酔科医の先生から直接受けた時、剖検時に目にしてきた多くの患者様のそれぞれの病態が目に浮かび、瞬時に何かとても有用な生体反応が起きるのでは?という閃きにも似た感激が頭の中を駆け巡った感じがしたのです。

 そしてそれが私と鍼という世界との最初の出会いになり、またその後、鍼の師となって下さる恩人の先生との

出会いでもありました。

基礎から臨床へ 2

 

 様々な経緯と様々な運命的とも思える出会いとに後押しされて、新天地であるペインクリニックの世界へと辿り着けたのですが、あと数年で40歳に手が届こうという年齢で後先も考えずにペインという新しい世界に飛び込む決断が出来たのは、終始応援してくれた信頼のおける助言者の存在と、何よりも病理学で得られた医学的経験とそのことにより構築できた医学的根拠がバックボーンとなり、衝動的とも思えるエネルギーを突き動かしてくれたからだと思っています。

 その様な財産を頼りに飛び込んだペインの世界でしたが、やはり最初は戸惑う事ばかりでした。どの様な事に戸惑ったのかと言えば、何よりも出会う患者様の違いに戸惑いました。ペイン、デビューの初日、待ってましたとばかりの洗礼を受けたのですが、所謂 Monster  Patient  と言われる患者様で、その  Monster  振りにも驚かされましたが、何より驚いたのは患者様が口を利くというその事でした。(それも信じられないような礼儀知らずな暴言を・・・)

 私がそれまで向き合ってきた1542名の病理学教室での患者様は、皆さん寡黙で良い方ばかりだったのですから・・・。(これはジョークではありません。本当にその時はそう思ったのです。)

 今から考えるとまるで笑い話のようですが、実際にそのような思いになり憂鬱な気持ちで今更のように病理の患者様を懐かしく?思ったりしたものです。しかしそんな手荒い洗礼も何とか乗り越えられ、ペインでの仕事の意義も見出すことが出来、その後18年間も痛み治療の世界で活動できたのは何にも増して幸せな事だったと思って居ります。

 ペインクリニックという科は疼痛の診断と治療を行う専門外来です。その主な手段は麻酔薬を用いた神経ブロックや様々な鎮痛薬を用いた鎮痛法、鍼灸療法や心理療法等広範な方法を用いて痛みの治療を行っています。また、大学病院のペインクリニック科ということもあり、各医療機関からの難治性疼痛疾患で苦しんでおられる患者様の紹介も多く、そのことで様々な病気と向き合うことが出来ました。

 また、附属病院の病棟緩和ケアチームにも所属し、主にがん患者様の治療に参加できたことはこの上ない経験となり、現在の仕事に対する大きな自信と、患者様と向き合う際の絶対的根拠となっています。